小林篤司さん◆スタートは徳島、ゴールは世界?!――時空間を自在に飛びまわるマルチ事業の海賊(前編)

「パスポートは必要だけど、海外って近いですよ。わたしの中で、カンボジアと東京と距離は変わらない」

小林篤司(こばやし・あつし)さん
徳島を拠点に、東京、東南アジア、欧州を駆けまわり、マルチな事業を展開している小林篤司(こばやし・あつし)さん。もともとはITで起業した小林さん、いまやカンボジアでは「食の安全」をテーマに現地政府と食品安全の制度を作るプロジェクトに、バングラディッシュでは現地の「人材育成」からビジネスの仕組みづくりと多方面に活躍。一方日本では、地元徳島の限界集落「上勝町」の地域創生に心血を注ぐーー「社会がよくなることはおもしろい」と言う、マルチな活動に挑む素顔に迫ります。

はじめは、小さく始める

「きっかけはホームページづくりでした」
 

徳島から早朝のフライトで着いたばかりの小林さんは、淹れたてのコーヒーをおいしそうに一口すすると、物静かに話し始めた。
 

「大学でソフトウェアを学んでいて、当時はITブームの追い風もあり、21歳のときに起業しました。その背景にはホームページ(HP)があったんです。〝HPが24時間、365日働いてくれる営業広告マン〟ともてはやされ、もう猫も杓子もHPをつくるような時代でした。
まず〝HPづくり〟を頼まれてアルバイトで始めました。HPも当時は無料ではなく、作った後は当然メンテナンスをしなければいけないし、ソーシャル・ネットワークサービス(SNS)みたいな便利なシステムもなかった。プロバイダ契約のような事務作業からサーバーにアップしたり、コンテンツ作りもいわゆるHTML(ウェブページを作成するための言語)を打ち込まなきゃならないので、正直すごく手間がかかるわりに、全然儲からなかったんです。でも〝月5,000円である程度更新もやる〟という請け合い方が、たまたま好評になって広がっていった。大学生だったのでアルバイト感覚ですよね。それが10社ぐらいになると月1万とか2万の利益が出始めて、〝あれ? これをめっちゃ増やしていったらどうなるんだろう?〟と思ったのが、起業のきっかけなんです」
 

社会勉強のためにも実家を出て、一人暮らしを始めた。収入が月10万円になり始めたとき、後輩をアルバイトで雇った。さらに収益は月20万を超え、家賃は出るし作業をする人はいるし、「なんだろう? この仕組み」と実感したのだという。
 

「コンテンツを増やせば増やすほどうなぎ上りに収入が上がり、〝あれ? そんじょそこらの社会人の収入どころじゃないぞ〟と思いました。実はこのとき起業を視野に入れ始めたんです。就職して20万の初任給を取るよりも、なにかわからないけれども今なにもしないのに月に何十万も入ってくる人生があって、〝あれ? こっちの方がいいんじゃね?〟と。
思えばこの時期に、経営というかヒト、モノ、カネを動かして、最終的に収益を出すという基礎を学んだような気がします。そして次に大学の仕事を打診されたときに、大学と契約が必要になりました。徳島大学内のベンチャーラボラトリーのIT開発案件は、やはり個人では受注できなかったので、そこで会社を立ち上げたのが本格的なスタートです。それから27歳ぐらいまでは、超バブルでしたね」
 

20代の諸行無常

 

しかし上昇気流も長くは続かない。Webも基本的に無料の世界になってきて、軒並み収益が落ちていく。熱に浮かれたパーティの終わりを告げるように、ITバブルがハジけた。
 

「ハジけたらもう早かったです。実際1年半ぐらいだった気がします。本当にあっという間に収入からゼロ2桁が落ちていく。そんなときに〝稼げないな〟と思われると、ものすごい勢いで周りの人が去っていく。その当時つきあっていた人たちも、結局お金でつきあっていたんだなと、〝人ってそういうものなんだ〟と学びました。
ちゃんとした経営なんてものを学んだことがなくて、どんぶり勘定でやっていたところもあり、やはり事業としては、ものすごく大きな失敗。その中で今もおつきあいのあるメンバーは、お金ではないおつきあいをしていた人たち。30代目前になって、もう一度経営をちゃんと勉強し直そうと思い、会社自体もマネジメントに力を入れました」
 

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