絶望の中で見つけ出した「生」

 

離職して肩書きもなく、病み上がりの身体だった原さん。初めて山伏行に参加した時は「人生の絶望期みたいな感じ」だった。装束の付け方も作法もわからず、知識も自信もない中で、「まるで死に場所を探しているように」ただひたすら山の中を歩いたという。

 

山では、当たり前のことだが歩かないと進まないし、止まってしまえば終わり。自分の体だけですべてをまかなう。原さんはそこで、「何もない」中から「身体があるじゃないか」という発見をした。

 

「〝何かを足さないと自分には何もない〟と思っていたけれども、身体ひとつで山を登って降りることができる。それだけで、自分は生きていてもいいんだ、と感じたんです」

生きていてもいいんだーー
身体ひとつになって、赤ん坊のような状態になってようやく取り戻した感覚だった。

 

「許されている感じというか、価値観が変わりました」

 

自身の体験について語る彼女から伝わってくる落ち着きと柔軟さ、そして穏やかな自信。それらは誰かに与えられたものではなく、自らの中から見つけ出したものだった。誰かに評価されたり肩書きを得たりしたことで得られたものではなく、身体を再発見し、価値観を改めたことですこしずつ取り戻した生来のものだったのだ。

 

ところが、この価値観の変化は永久ではない
「変化した、自分は生まれ変わったと思っても、また元に戻る」と原さんは言う。

 

「東京にいると、〝あっ、人と自分を比べてる〟と気づく時がある。あるいは、昔の嫌なことを思い出したり、将来を悲観したりして、〝今〟にいない感じになる。
それでも、山に行けばいつでも〝今〟しかないことを身体が思い出すんです」

 

ハードな行の中で強制的に「何も自分の思考を挟まない時間」をもつ、頭で決めつけずに身体で物事を受け入れるーーそのような時間によって、自分が「更新」される感覚があるのだそうだ。

 

「今」の発見、「身体」の発見、そして「思考を挟まない時間」。

 

なんだか原さんだけでなく、すべての現代人にとって大切なものが山伏の行の中にあるような気がしてくる。山伏行と東京での生活、そのふたつは原さんの中でどのように関わり合うものなのだろう?

 

「山伏というのは山にこもりっきり、そういう仙人みたいな人ではなくて、里の穢れを山で祓って、山の知恵を里に下ろすという、行ったり来たりするという役割があるんです。
なのでわたしは今時、このご時勢の中でどれぐらいそれが体現できるか? ということを試しているところです」

 

山伏の世界には「半聖半俗」という言葉がある。聖なる部分と俗の部分、両方をもって生きるということ。現代の山伏のほとんどは他に仕事をもち、山を下りれば世間での顔や家族がある普通の人たちだという。

 

先月の山伏行明けの一枚。清々しい笑顔が原さんにとっての「山」を物語る
(左から原さん、星野先達)

 

聖と俗、山と里のふたつを「つなぐ」役割ーー
原さんはいったいどのように山の知恵をつないでいくのか。

 

後編では、「コーチ兼山伏」にかける熱い想いを語っていただきます!

 

イベント情報
9月に原美香さんのイベントを開催します。ぜひリアルでお会いしましょう!

 

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