「広告業界では、大学に入っていないとスタートラインに立てません。でも、いまさら大学に行くのは僕には無理だなと思ったので、〝僕は地元が好きだし、地元のことはわりと詳しいから、藤沢でやります〟と宣言して、半年間のセミナーを経て広告学校の蓄積をフリーペーパーという形で始めたのが『フジマニ』です。ちょうど20歳になる直前に創刊号を発行しました」

 

これまでタブロイドやミニコミなどさまざまな呼び方をされていたものが、フリーペーパーやフリーマガジンと名前も統一されて、雨後の筍のように出てきた。「クーポンマガジンホットペッパー」を皮切りに軒並み創刊されたのが、2004年後半から2005年のこと――「フジマニ」を創刊した1年後のことである。

 

「フリーペーパーの一大創世期に、藤沢にはフリーペーパーがなかったんです。まったく同業他社がいなくて、うちだけのブルーオーシャン。ただし、広告の手法はわかっていても営業はまったく未知の世界でした。〝よかったら広告を載せませんか?〟と飲食店や美容室や洋服屋さんへ、文字通り、飛び込み営業をしていきました」

 

当時のメインコンテンツは藤沢のファッションだった。アメリカ古着の一大ブームに乗っかり、米軍の払い下げの放出品(サープラス品)が高く取引され、藤沢は潤っているお店が多かったのだ。当然、流行は人の集中するところで開花する。横浜や渋谷・原宿にお客さんが奪われていくという現状も後押しして、広告のニーズも高まっていた。

 

「すぐに営業トークを〝古着の紹介をするので広告を出しませんか?〟と古着ファッションに特化しました。最初は町田から進出してきた古着屋さんが、裏表紙(表4)の広告を1年間買ってくれたんです。そこから2年で、もうコックをしなくても食える状態になりました」

 

最初はコックの給料を制作費に充てていた。写真を撮って、文章を書いて、デザインをして、印刷まで出して、納品されたものを配る――すべてワンオペの究極の同人誌のような所業を成し遂げていた。

 

「この広告が売れなかったら俺の給料はゼロだなという状態が2年ぐらいあったんです。でも〝地元生まれでがんばっているんですよ〟とポロっと言うと話も弾んで、〝なんだ、後輩か。いくらか出してやるよ〟と広告につながり、フリーペーパー自体も珍しかったせいか、みなさん手に取って見ていただいて、結果的には商売になり始めました」

 

しかし、ブームというものは終わりがある。古着ブームが終焉を迎え、藤沢中の古着屋さんはほぼ撤退。広告主が去り、代わりにショップカードやポスター制作が増え始めた。フリーペーパー、広告制作、印刷と三つ巴でなんとか食いつないだ。

 

「このままではジリ貧だと思っていた矢先に、〝資本がある、商材もあるから一緒に組もう〟という申し出があり、当時60歳のおじさんと当時25、6歳の僕という、おもしろい組み合わせで商売を始めたんです。ところがスタートしたものの、彼の話していたことと実態にギャップがあって。学ぶことも多かったのでマイナスばかりではなかったのですが、結果的に僕にはプラスにはならないので、4〜5年で関係を解消しました。僕一人のオーナー会社に戻って、そこからNEKTONの立ち上げに至るわけです」

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