「迷った時や悩んだ時、全部見える化したほうがいい。能力があっても、やりたくないことをやっている人もいる。それは〝あてがわれたから〟」

三浦悠介(みうら・ゆうすけ)さん
ルーツはもともと三浦半島で栄えていた三浦一族で、北条氏に滅ぼされた後は海賊だったという、三浦悠介(みうら・ゆうすけ)さん。地元を愛し、地元を盛り上げ、情報を発信し、コンテンツを作ってきた三浦さん。近年はコワーキングスペースNEKTONという場の提供も始め、ますます活況だ。湘南海賊の生き残りは、この先になにを見据えているのか?

「こんなに地元がおもしろいのに、なんで東京に行くんだろう? 物価も安いし、美味しいものもたくさんあるし、洋服なんて都内よりクオリティの高いものもある。やはり居心地がいいのは湘南です」そう断言する三浦さんが情報発信を手がけたのは、中学時代にさかのぼる。

 

「中学2年の時にインターネットに詳しい友達がいて、ホームページ(HP)の作り方を習って、HTMLのタグ打ちをしてWebサイトを作ったところが、僕の〝発信〟のスタートラインです。
小学生のころから、夢は小説家。文筆業をやりたい、テキストで商売をしたいなと思っていたので、メインコンテンツは僕が書いた読み物でした」

 

時代はちょうどHPが流行り始めたころだ。HPへの訪問者を示す「アクセスカウンター」が伸びていく楽しみもあった。当時、コラムや日記など「読み物」を評価するReadMe! Japan(リードミージャパン)というサイトが盛況だった。もともと三浦さんは先祖が海賊と知って、「湘南海賊」というハンドルネームでWebサイトを始めた。それが初めて世の中に物事を「発信」していくきっかけとなった。

 

「地元の小中高校に通って、卒業して大学に行くという選択肢もありましたが、勉強が好きでもなかったので、〝大学に行ったと思って僕のことは放っておいてほしい〟と親に1年間、時間をもらいました」

 

自分で働いたお金はすべて自分で使う1年間だったという。お金を稼ぐために、まずはイタリアンレストランの厨房に入って、朝8時から夕方5時半までコックとして働き、月18万〜19万のお金と自由を手にした。

 

「格闘技を習ってみたり、旅行に行ってみたり、バイクの免許を取ったり……とりあえず興味の赴くまま1年を過ごして、結果的に、何も見つからないということが見つかったんですね。おもしろいなと思っても、飽きちゃうんです。何も夢中になれない」

 

その間に同世代の友人たちは大学でゼミや研究室に入っていく。周りがどんどん先に行ってしまうような焦燥感に駆られた。このままだとヤバイと、一念発起する。

 

「唯一ずっと自分の中で興味としてくすぶっていたのがコマーシャル、広告宣伝でした。
『広告批評』という雑誌をずっと講読していて、天野祐吉さんが主催している広告学校に通うことにしました。学校という場所に身を置かないと僕は勉強しないので、毎週火曜と金曜にコピーライターの講座に通って、課題をこなして、それを添削して戻してもらうという半年間を送りました。ラッキーだったのは、当時僕は18歳で、講座で最年少だったことです」

 

最年少という最大の自己アピールの武器を持ちつつも、「広い会場で一番前に座る」「必ず一つ質問をする」というマイルールを決めた。それが功を奏して、ほどなくいろんな人に覚えてもらえるようになった。業界の大御所の事務所に出入りし、進路の相談ができるような関係にもなった。そこで思い切ってこのまま広告業界でやっていけるか聞いてみた。ところが、返ってきた答えは「いや、それは無理だね。だって4年制大学出ていないから」だった。

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