
「都会ともフットワーク軽くつながって、田舎で閉じない。50年先も−−たぶん、おもしろいことをやっているんでしょうね」
上山集落をぐるぐると車で頂上へ向かうと、標高の高い大芦地区に、そのキャンプ場はあった。管理事務所は、太陽の光がたっぷりと入る開放的な空間だ。大芦高原キャンプ場は、つい1年ほど前まで休業していたとは思えないほど、人の手と気持ちが行き届いていた。事務所の前で薪割りをしていた三宅康太(みやけ・こうた)さんが運営している。そんな三宅さんも、ほんの1年半前は入社したばかりの新社会人だったという。
「16年に卒業して、証券会社に入社しました。最初に上山に来たのが、その年の7月30日なんです。翌日はひさみんの誕生日だったんですけど、2日間ここに滞在させてもらって、〝ここに来られるものなら来たい〟と思って、8月1日に上司に辞めますと話しをして、9月頭に移住しました」
ほぼ即決。決断にかかった時間は、なんと2日だった。なぜ、そんな決断ができたのだろう?
「就活前からずっと頭から離れなかったことがありました。実際自分が働くようになって、いろいろと違和感を感じて、〝抱えている違和感をどうやったら正せるのか?〟と考えたり模索したりするなかで、〝地域おこし〟や〝田舎暮らし〟がキーワードとして引っかかってきました。どんどん調べていくうちに〝上山集楽〟という存在を知り、地元が岡山市内なので、近いし一度行ってみようと思って来たわけです」
三宅さんの抱える「違和感」とはなんだったのか?
「小さい頃から変なところに疑問を持っていて〝なんで高校に行かないといけないんだ?〟とか〝なんで大学に行かないといけないんだ?〟ということを親ともずっと話してきました。結局大学には行かせてもらったんですが、大学のゼミで恩師に自分の違和感をぶつけたとき、〝なぜそうなるのかをしっかり考えなさい〟と言う先生で、それも相まってさらに考えるようになりました」