「〝何とかなる〟なかで自由に生きて、好きなように生きて、お金に関しては帳尻が合えばいい」

白鳥光良(しらとり・みつよし)さん
「ファイナンシャルプランナー」の資格創設期に、いち早くその可能性に気づいた白鳥光良(しらとり・みつよし)さん。25歳でその未知の可能性に賭け、起業して2年目で莫大な赤字を抱えることになった。お金で苦労を背負ったからこそ言える、プランナーの本音。海賊とお金の本質に迫る!

「ファイナンシャルプランナーとして、会社を立ち上げて18年になります」白鳥さんは穏やかに話はじめた。

接点は、大学3年生で株を買ったことに始まる。世の中にネット証券がまだなかった時代だ。ファイナンシャルプランニング技能士という資格も存在していなかった。株を続けていたが、投資運用だけではなく、「人生全体のお金に関する知識も重要だ」と思い、可能性を見出した。「もっと深く知りたい」という思いが、白鳥さんをファイナンシャルプランナーへと駆り立てたのだ。

 

「ファイナンシャルプランナーに、今後の広がりを感じたんです。いろんな人の人生に役立つだろうなと勝手に想像したのが始まりでした」

 

大学卒業後、アクセンチュア(当時のアンダーセン・コンサルティング)に入社。アクセンチュアの面接でも白鳥さんの人となりがよくわかるエピソードがある。

 

志望動機を問われた時に、開口一番に「自由に生きたいと思っているんです」と答えたのだ。自由に生きるためには自分に力をつけていく必要がある。「力がつかない会社は初めから除外しています。30代以降は、より組織に囚われずに自由に生きたいと思っているんです」と続けた。「自分の将来のゴールに向かいながら、ちゃんとその会社にいる時は貢献する」ことを受け入れてくれる会社じゃないと自然体では働けないだろうと思ったからだ。

 

自由になりたいから、ここ(企業)でしっかりスキルを身につけたい
こんなことを言われたら、面接官のほうがビビりそうだ。

 

無事面接もクリアし、アクセンチュアでは、システム中心の仕事に2年ほど従事した。自分が1進むと周りが3進んでいるような感覚が常にあったという。

 

「転職よりはキャリアを変えたほうがいいなと〝感じてしまった〟んです」

 

そして即座に、ファイナンシャルプランナー(以下FP)を軸にした仕事の情報収集を始める。当初FPは、金融商品を売る目的で使われていた。いち早く採り入れていたのは、外資の生命保険の営業だった。ところがまだ「FPを中心にした仕事」は皆無。ただでさえ海の物とも山の物ともつかない「ファイナンシャルプランナー」だ。いったいどのようにして生業としたのか?

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