2月6日午後11時50分(日本時間7日午前0時50分)ごろ、台湾東部の花蓮でマグニチュード6.4の地震が発生した。僕は台湾にいなかった。1995年の阪神大震災も、1999年の台湾中部大地震(921大地震)も、そして2011年の東日本大震災のときもそうだが、僕は現場にはいない。いつもテレビで衝撃的な映像を眺めて、事態の深刻さを感じるだけだった。

 

家族は大丈夫だろうか? 友人は無事だろうか? 取引先は何事もなかっただろうか?
そして、現場の人々の安否はどうなのか?

 

花蓮市内では、倒壊した建物に閉じ込められた人が続出し、16人の死亡が確認され、285人の方々が負傷、連絡が取れていない方が1人いるという(2月11日現在、共同通信)。1時間に5センチ傾くビルに果敢に飛び込んでいく消防隊。台湾のことだから、科学的根拠の乏しい中、あつい魂に燃えた消防隊が必死に瓦礫を手で掻き分けているのだろう。レスキューにあたる消防隊、軍隊、民間の人たちの勇気と努力には頭がさがる。本当に感服するしかない。

 

今回の地震で思うことは、なぜいつも台湾で地震が起きると、いとも簡単にビルが倒れるのかということだ。2016年の台南市の地震でもそうだ。地上16階建てのビルが横倒しになり、9棟が全壊、5棟が傾くなど、市内で500人以上が負傷した。さらに、貧しい者がいつも地震や洪水の被害にあっているという実態だ。

 

簡潔に言えば、イイカゲンな建設会社が手抜き工事をしたこと、断層の上でさえマンションを作ってしまったこと、そして、そんなイイカゲンな工事や業者を政府が放任し、黙認してきたからだ。

 

被害を受けるのは、「いい人」である一般市民

 

台湾人はかくも素晴らしくいい人たちであるにもかかわらず、お金持ちの既得権益層とそれ以外の人たちの二極化が極端に進んでおり、特に資本主義の権化となった「カネまみれ企業」、そこから献金を吸い上げまともに政治ができない「政治家」という構図は変わらない。富める資本家、汚染された政治家の呪縛から「いい人」である市井の台湾人は、いまだ免れないのだ。結局、被害を受けるのは、「いい人」である一般市民。倒れるようなビルに、金持ちなど絶対に住んでいない。いくら景気が上り調子であっても、台湾人の平均給与は数十年上昇していないという事実をご存知だろうか。台湾には、根本的に搾取の構図がいまも存在しているのだ。

 

日本人が台湾に行って「生活しやすい」と思う、大きな理由の二つは、物価の安さと温かい国民性だ。その裏に、政治と経済が一体化して搾取の構図が維持されているから物価が変わらないという事実がある。実に巧妙に物価と賃金を低く押さえ込み、「いい人」台湾人が爆発しないレベルに維持しつづけている。かたや「いい人」台湾人は、一生懸命働きながらも、幸せな生活を追い求め、感じることができる環境に保たれている、とも言える。ぜいたくはできないけどね。

 

この搾取の構図を変えない限り、台湾が本当に発展することはないし、天災があったときの被害を本質的に解消していくことは難しいだろう。一方で、台湾人はそれを達観していて、幸せに生きる達人でもあるのだ。

台湾人は、幸せに生きる達人

安くて美味しいもの、観光地としても名高いきれいな場所、楽しい生き方を心得ているのだ。僕には、台湾人は中途半端にカネがある日本人にはない、素晴らしい価値を理解しているように思える。お金をかけずに、普段着の自分で楽しむ方法をたくさん知っているのだ。カネの呪縛にとらわれている台湾人は、日本人同様に、富めよ病めよと追い詰められていくが、そこに一線を画す一般の人たちって、実は豊かなのだ。

 

そう考えると、真の「発展」ってなんだろう? むしろ、発展を追い求めることが、富めるものを豊かにするだけというサイクルにはまっていくようにも思える。ならば、別にいらないのかもしれない。資本家や政治家の論理に騙されずに、ゆったりと暮らすこと。これこそが、本当の自由なのかな? たとえば、台湾の田舎の人たち、日本人でもそういう人はいる。

 

「カネ」の呪縛から逃れた発展があるとしたら、それはいったい何を指すのだろう? また、その中で生きることの意味は何だろう? 地震に際して「いい人」台湾人の姿を目の当たりにして、改めて考えさせられた。

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