週末に再び先輩と一緒に鎌倉の円覚寺で座禅をしてきた。前回の居士林よりももっと奥の、仏像が鎮座する「方丈」という場所へ向かう。季節は紅葉真っ盛りだ。道すがら、やまぶき色から真紅へとさまざまグラデーションの紅葉が出迎えてくれる。ぴりっと刺すような寒さだが、澄んだ空気は心地よくからだのすみずみに染みわたる。午前8時からの坐禅会は、寒い日にもかかわらず、相変わらず盛況だった。経験者も多いようで、厳粛な雰囲気の中で始まった。前回の座禅では、「体から離脱して自分を客観視するような感覚」を味わったわけだが、今回はそこから一歩進んだような体験があった。

初心者向けの10分から時間は2倍になり、前半と後半の20分ずつ、2度坐禅を組む。前半の20分は眠気と疲れもあって、なかなか坐禅に集中できなかった。後半の20分に入ってすぐ、これではまずいと思い、初めて「警策」の一撃をお願いした。水を打ったような静けさのなか、「パシッ! パシッ!」と背中を叩いていただくと、不思議なことにボーっとした頭と体にビシっとスイッチが入り、もやが晴れた。

五感で感じられるすべてのものが一気になだれ込む

そこから呼吸に意識を向けてみると、周辺の川のせせらぎ、木々の葉がさあっと揺れる音、小鳥のさえずり、人の気配など……五感で感じられるすべてのものが一気になだれ込んでくる。決して意識して耳をすましているわけではなく、体で感じているものが無意識に流れ込んでくる感じだ。その流れの中に自分の体がちょこんと座っていて、周りに溶け込んでいくような、このなんともいえない感覚。呼吸や体に注意を向けることで、ただ「そこにいる」という不思議な心地だった。「僕は僕であって僕ではない」とも言うべき、自然の中で「ただ、ある」という佇まい。いまこの瞬間の心の動きに「集中」するためには、逆に自然に流れに身をまかせ、ただ「そこにいる」という状態を作り出すことも必要なのではないか?

 

そんなことを思ったのは、先月キャリアコンサルタントの試験勉強に没頭したときに、あらためて僕は短期間におそろしく集中力を発揮するタイプなんだと強く自覚したことにある。勉強中は、それこそ頭から湯気がでて、吐きそうになるくらい詰め込んだ。もちろん狂ったように趣味に没頭できるのも、この集中力のおかげだろう。当たり前だが、この集中力は永遠に持続するわけではなく、「ここぞ!」というときに一気に放出する。

集中するためにも「ただ、そこにいる」大切さ

今回の坐禅では、集中するためにも「ただ、そこにいる」大切さに思い至った気がする。集中しているときには見えていなかったものが見えてくる、と言ってもいいかもしれない。何事にもとらわれずに「ただ、そこにいる」状態は、思いのほか心地よく、自然のエネルギーが体内に取り込まれていく感覚もある。集中と弛緩ーーその両方のバランスがとれて、ポジティブサイクルを生み出していく。

 

毎度坐禅をするたびに新たな発見と、新鮮な気持ちに出会う。だから何度も足を運びたくなる。そして足を運ぶたびに、感覚のひだが自然と開いていく心地よさで満たされる。坐禅は実に奥深い。そして、今回は特に鎌倉の紅葉という素晴らしいお土産までもらえるなんて! ほんとうにいい週末の朝だった。

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