コーチングの基礎コースを受けているときに、受講生仲間が僕に「世話を焼くのが好きそう」という印象を持ったことから(これには僕もびっくり!)、その日は終日「世話焼きババア」で居続けるというワークをやったことがある。密かに自分の奥底に潜んでいたキャラクターを、いわば振り切って「演じる」ので、僕自身は抑制されるものもなく、思いっきりおせっかいなくらい世話を焼いた。結果どうなったか?

なんと、振り切った存在としての「世話焼きババア」によって、すごぶる良い相互作用が生まれたのだ。なりきっている僕もおもしろおかしくやっていたし、周りも楽しくなっていった。このとき僕は、自分ですらはっきりと気づいていなかったが、心の奥底に本来持っている個性を振り切ると、自分の世界が気持ちよく広がることに気づいた。

 

一方で、何度かこのColumnでも書いている通り、僕はめんどくさがりだ。僕にとって世話を焼くなんて、めんどうの最たるものだ。とはいえ、「めんどうくさい」と言いつつも世話を焼いてしまう時がちょくちょくある。

個性を振り切ると、自分の世界が気持ちよく広がる

 

たとえば、近しい相手に対して、明らかに「それは違うぞ、おかしいぞ」と感じると、言っておかないと気がすまなくて、心のほうが先に動いている。「気づいてほしい」「わかってほしい」という思いでぶつかっていくけど、相手の反応(結果)にはとらわれない。相手のメリットのあるなしにかかわらず、強い思いに突き動かされているだけだ。押しつけることはしないし、結果にもこだわらない。だから、見返りも求めていない。僕が勝手に言っていたりやっていたりすることなので、うまく相手に伝われば「めんどうだったけど、やってよかった」という気持ちになるし、力になれなかったときは、そりゃあ、僕だって人間だもん、ものすごーく残念だ。

 

そういえば、居酒屋のサービスが悪くて文句を言うときも、お前オカシイだろ! 直せよ! っていうストレートな気持ちが強い。僕といっしょに飲みに行く人は、いまごろくすくす笑っているかもしれないけど、本当にこの手の物言いはしょっちゅうなのだ。でも「こうしたほうが、お店のためにも君のためにもいいよ」というスタンスで言うので、単なるクレームとはちがう。それはそれは、安い店でも文句言うしサービスが良かったら、当然ながら褒める。そこには、提供されたサービスや対価に対する憤りは、まったく介在しない。つまり、ベクトルは「人」に向いているってことだ。

「愛がある厳しさでした」

 

かつて、同じような理由で会議室では真剣に部下を叱りつけていた。正しく物事を見てほしい、真剣に取り組んでほしい、そしてもちろん、相手に成長してほしいという期待が高かったからだ。かれらによると、それはそれは恐ろしかったらしい……。なぜなら、真剣にドツきまわしたから。でもそのドツきまわした部下たちから「愛がある厳しさでした」と言われていたから、愛が伝わってたんだな〜。これぞ愛のムチだね。

 

どうやら僕は、相手に対して「おい、それは何かおかしいぞ」と思うときに心の中の「世話焼きババア」が暴れだすようだ。これからもどんどん「愛」を振りまいて、もっと愛される世話焼きババアになろうと思っている。まあ、めんどうくさいけどね(ホント……)

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