実はいま、絶賛キャリアコンサルタントの試験勉強中(なんと本日試験!)だ。コーチングには手薄かった心理学の裏付けを一生懸命頭に叩き込んでいる。たとえば、認知行動療法の一つに、1950年代にユダヤ人のフレデリック・パールズ医師が開発した、ゲシュタルト療法というものがある。この思想を織り込んだ「ゲシュタルトの祈り」という短い詩を紹介しよう。

私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。 私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。 そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。 私は私。あなたはあなた。 でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。 たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

ゲシュタルトの祈り

ひさしぶりにゾクゾクするほど心に響いた。まさに、カウンセリングで言う「いまここ」の原点のことだ。一方で僕はまた、人間関係について思いを巡らせた。

 

みなさんは大人になってからの友人ってどのくらいいるだろうか? 本気で叱ってくれる人、真剣に悩みを聞いてくれる人、ときには自分の弱さを見せることができる人。僕は20代後半に中華圏に飛び込んだこともあり、初めは言葉も通じないし、ビジネスが前面に出ているとビジネスライクなつきあいしかせず、親友と呼べるような関係は築けないだろうと思っていた。年齢を重ねれば重ねるだけ、自分というものもわかってくる。だから、いまさら人に合わせてまで仲間を作ろうだなんて面倒なことはしたくないし、そこまでして新しい人間関係を築く必要なんてないとさえ思っていた。そもそも面倒くさがりなのだ。

ひさしぶりにゾクゾクするほど心に響いた

ところが、振り返るとそんな僕にも人生のターニングポイントという節目節目に、必ず友人という存在があった。おそらく台湾人の気質と僕の気質が最高に調和したからだろう。なにかあればよってたかって助けてくれるし、駆けつけてくれる。それも押し付けがましくなく、自然に。でも、ある意味ドライで、お前はお前、俺は俺みたいなところもある。たとえば台湾人の友人は、基本、犯罪でなければ何をやっても、「あいつはこうだからな」で済まされる世界。ルールを守るというよりは、ルールのエッジをぎりぎりわたるくらいで自由を謳歌している。個性を重視するので、こうしなければならないという押し付けはほとんどない。裏を返せば、自己主張しないと個性が埋没する。でも、それが僕には心地よかった。

 

そこで、もう一度ゲシュタルトの祈りを見てほしい。おそらく初めに読んだとき「あれ?」と思った方が多いのではないだろうか。そう、最後の「たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ」という一文だ。僕は、「出会えなかったことには、何か理由があって、会えなかったからこそ得たものがあるはずだ」と解釈した。どんな出会い、また出会わなかったことにもきっと意味があって、それをとやかく言う必要もない。会えなかったことを「素晴らしい」と言い切ることで、「私は私」の概念がさらに純粋になる。僕自身のことを言えば、とある台湾の友人と話(お茶)をしなければ、こうもすんなりとコーチングの道に歩み出さなかったかもしれない。

自己信頼が成り立ったうえでの、大人な関係

僕はラッキーだったのかもしれない。僕らの友人関係は「自立」した者同士だから、互いを尊重できた。深く理解し、信頼する関係。自己信頼が成り立ったうえでの、大人な関係とも言えよう。そしてそれはさらなる大きな力になる。たとえばこんな人たちが束になれば、本気で何でもできる。

 

ゲシュタルトの祈りーー試験勉強で運よく「出会った」素敵な詩だ。こう考えると試験勉強も悪くないね。(いや、ほんとは頭がパンク寸前!)

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