先日SCE(現ソニー・インタラクティブエンタテインメント)時代にお世話になった親分と会食をした。昔かれに「お前よ〜ドス抜いて振り回してんじゃねえよ。皆死んじまうじゃねえか! ドスは一旦抜いちまったら斬らなきゃならないんだよ。抜いちまったらおしまいなんだよ。皆お前がドス持ってんの知ってるんだから、抜くな。持っているだけで十分なんだよ。そうじゃなきゃ一緒に仕事できねーだろ!」と言われたことがある。以来、この言葉は僕にとってはかけがえのない宝物だ。また、この日を境に、僕は人に対する接し方を変えた。

この話は僕が30代の最後の年まで遡る。30代後半と言えば、ちょうど仕事でも脂が乗ってきて、中華圏ビジネスもシーズン2がクライマックスを迎える頃合い。頭の回転はフルスロットル、仕事となれば押せ押せで正論をぶちかまして、ときには相手を叩きのめす言動も出てしまう。それもこれも悪気はなかったんだけどね。親分は「優秀な人間は、能力を持っていることだけで他者に影響を与えられる。それだけで他者はやるべきことを悟るのだ」と言いたかったのだろう。

自分の強さの根本を立て直すきっかけ

もともと僕は思ったことをストレートに表現するタイプだ。友人などのプライベートな人間関係では、個性だと受け容れられて問題になることはなかった。だから、このとき言われた「ドス抜くな」は痛烈だった。まさに腹への一発、ガツンときた。ぶちのめす側だった僕がぶちのめされた。誰にも言われたことがなかった。でも、心地よかった。

 

このときから、僕は「ドス」を自分の中に隠した。ドスを振り回さなくても自分の思いを表すことができるようになった。それは、自分をコントロールするという安易なことではなく、自分の強さの根本を立て直すきっかけ、とでも言えよう。

 

最近は「ドス」を隠すことがうまくなりすぎて、周囲に合わせてしまったりスルーしたり、表現をサボってしまうこともある。そんなときにラルフ・ウォルドー・エマソンの『自己信頼』に出会った。正直なところ、僕はこの本にぶちのめされた。ひとつ引用しよう。

この世界では、周りの意見に従って生きる方がたやすい。ひとりでいるときは、自分の意見だけに従って生きることも難しくはない。しかし偉大な人物というのは、大勢に囲まれている中でも、見事なまでのしなやかさで、自分を保っていられる人間だ

ドスを隠してテキトーに周囲に合わせておけば、たいがい人は、順応性が高いとか、調和がうまいとか、寛大な人などと言うだろう。楽に生きられるかもしれないが、それじゃ楽しくないんだ。僕はむしろドスを自分に向けて、かつてのストレートさと素直さを失わないようにしようと思った。

楽に生きられるかもしれないが、それじゃ楽しくない

エマソンはまた

もし私が悪魔の子なら、悪魔に従って生きていくまで

 

とも言っている。これは神父だったエマソンにとって、相当思い切った言葉だ。つまり、自分の思いが仮に悪魔のようなものであっても、それに従って生きろということだ。僕はこの一文を読んだとき、心を奪われた。僕は「ドス」を自分の心臓に向けることで、どんなことがあっても自分に従い続ける覚悟を決めたのだ。

 

かくして冒頭の親分のありがたい言葉は、人生のターニングポイントとなった。ドスという象徴は大切なお守りであり、惰性に流れそうになるときの試金石でもある。そして、あらためて思う。僕もこんな一言を与えられるような人になりたいと。

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